無思考の休日

思い立ったときに少しずつアップします。主張があるわけではありません。遅筆。

プロスポーツの開催とオリンピック

プロ野球やサッカーは、もともとずっと試合をやってきているわけで、通常の開催方法で仮に危険度100となるところを、十分に対策を取ることで、危険度を50なり60なりに減らせているのでは、と思う。
(数字は理解してもらいやすいように仮に設定したので、誰かが算定したわけではありません。念のため)

五輪は、もしやらなければ危険度0だったずなのに…

中止派も開催派も、互いに相手のことを感情論だ精神論だといって批判する。
意見は人それぞれだろうけど(ただし「反日が…」は論外。それも首相経験者まで…)、少なくとも自分は、五輪を中止すべきと考える理由は 感情論でも精神論でもないとは言いたい。

…今回は少しだけ主張してしまった。

父の日だけど母のこと

一昨年の夏はまさしく酷暑で、9月中旬になっても暑さは衰え知らずだった。

中旬は母の誕生日であり、たまたまネットで見かけた店の美味しそうなケーキを、母のために買おうと前々から考えていた。
しかし、都内にあるその店から千葉まで持ち帰るには、保冷剤があっても不安なほどの気温が続いている。それに母は9月に入った頃から体調を崩し、食欲も無くしていた。

もともと夏が苦手な母。それに歳も歳である。その母を襲う容赦ない暑さ。そりゃあ夏バテもかなりなものだろう、とその時は思った。
ケーキを買って帰るのはもう少し秋らしくなって、母の体調が戻ったらにしよう、そう考えた。


夏バテと思っていた母は、誕生日からひと月もたたないうちにあっけなく亡くなってしまった。

ぎっくり腰

ぎっくり腰のため、仕事を急遽休んで自宅にて静養中です。

もとから腰痛持ちではあり、そこそこの痛みは慣れているのですが、ぎっくり腰は忘れた頃に前触れもなく激痛が走ります。ピーク時はトイレに行こうにも、便座に座ろうとしてグギッ、水を流そうと手を伸ばしてグギッ。そもそもトイレにたどり着くまでが一苦労、いや二苦労、三苦労です。
経験された方にはわかっていただけるでしょうか。

これで通算4回めのぎっくり腰です。
1回め2回めのときは整形外科(それぞれ別の)でレントゲン撮影などしたのですが、特に異常もなさそうで、湿布を処方されたのみでした。それで前回(3回め)の時は医者には行かず、市販の湿布と鎮痛剤、あとは2日ほどの安静でやり過ごしました。
今回も今のところは3回めと同じく湿布、鎮痛剤、安静の3点セットにて様子見です。

気になるのは、ぎっくり腰の起こる間隔がだんだん短くなっていることです。1回めから2回めは5年以上あったのに、今回は1年半ほどでの再発です。
腰痛予防のストレッチを始めてはいた(正確にはサボっていたのを再開)のですが、ぎっくり腰予防対策も本格的に考える必要がありますね。

日常生活にも困りますし、奥さんにも迷惑かけますから。

ペーパードライバー講習

長きに亘るペーパードライバー人生を卒業するため、教習所に通っている。
前々から行こう行こうとは思いつつ、つい先延ばしになっていた。それがここに来て、自分を取りまく環境の激変(結婚その他)もあり、ようやく踏ん切りをつけて通いだした次第である。

久しぶりにハンドルを持ったときは緊張のせいか、やはり動きにぎこちなさを感じた。それでも隣に教官がいる安心感もあってか(危ないときはブレーキ踏んでくれるからね)、程なくそれなりにスムーズに運転できるようになり、所内の教習は早々に切り上げて路上に出ることになった。

地元でもあり、道の状況はそれなりにわかる。しかし徒歩や自転車とはやはり違う。なにしろ路上での運転は10年以上ご無沙汰である。所内とは異なる緊張感が生じる。
しかしそれも長くは続かず、やがて余裕が少しは生まれて、周辺の状況も目に入ってくるようになった。それもあってか、特にヒヤリとすることも、助手席の教官から特段の厳しい指導もない。無事に教習時間を終え教習所に戻って来ることができた。

教官によれば、運転技術にそれほどおかしいところはない、長期間ハンドルを握っていなくても体が覚えているようですね、とのこと。
ホッとするとともに、わずかながらも自信が湧き、あちこちドライブへ行こう、イオンあたりに車でいって大量の買い物を…などと考え出す。

それにしても教官の皆さん、20数年前、私が免許を取得すべく教習所に通っていたころと随分ちがいます。
当時はちょっとのミスでそれこそ罵倒、今でいうパワハラまがいの言葉を投げかけられました。それがどの教官もやわらかな物腰。こちらに何か言うときもソフトな口調。変われば変わるものです。
今は、教官の態度などについてネットやSNSで簡単に拡がり、教習所の評判にも直結するのでしょう。教官への指導もかなり厳しいに違いありません。

ちなみに、通っている教習所の予約サイトではNG教官を登録できます。他の教習所でも同様なのでしょうか。

いまふと思ったこと

何も起こらないときは何も無さすぎてもの足りず、何か起こるときは立て続けに起きて、頭がパニックになる。
平均化してくれれば、パニックにならない程度にやるべきことができて良いと思うのだけど…
毎日同じレベルで過ごすのは、それはそれで単調でつまらないものなんだろうか。

写真の顔と中国人

(「味噌ラーメンと欧米人」からのつづき)

その旅行は、味噌ラーメンのことを除いては充実した満足のいくものであった。しかし店主はどうして私に、日本語が話せるのか聞いてきたのだろうか。

心の片隅で疑問として残っていたが、帰宅後しばらくしてから、旅行中の自分の写真を見返して納得した。

「俺の顔、中国人っぽい」

そんなことを思ったのは初めてであるが、それで疑問は解決した。

(おわり)

味噌ラーメンと欧米人

(「餃子と日本人」からのつづき)

カウンターの私の右側は常連らしき男性で、おそらく日本人であった。店員と話しながら数種類の餃子を食べている。
左側は欧米人らしき男性、私の中では勝手にドイツ人と決めつけたが、やはり1人で餃子などを頼んでいる。

やがて右側の男性が出ていき、カウンターの客は私と欧米人のふたりになった。欧米人はメニューの味噌ラーメンの写真を見て、店員にあれこれ尋ねている。私もその味噌ラーメンは気になっていたが、餃子とビールでそれなりに腹が満たされていたので、注文はしなかった。欧米人は味噌ラーメンを注文した。

それほど待つこともなく、欧米人の前に味噌ラーメンが出された。想像よりかなりボリュームがあったらしく、驚きと困惑の顔で店主らしき男性に何やら話しかけている。もちろん言葉はわからないが、食べきれる量でないことは確かなようである。

私は内心、彼が私に味噌ラーメンを半分すすめてくれないものか、と考えていた。私も全部は食べきれないが、半分なら美味しく食べられると思ったからである。
しかし彼は、初対面のゆきずりの人間にそんなことをしそうには見えなかった。私も初めての相手に気さくに話せる性格でもなく、言葉もわからない。

こうして私はその日、味噌ラーメンを食べ損ねた。

(もう少しつづく→「写真の顔と中国人」へ)